想了解多崎作?先带你看看火车站
村上新书的主人公多崎作是个搞建筑的人,主要就是搞火车站,让我们一起来看看火车站吧!
“
只有一个能称为爱好的东西,是多崎作比什么都要喜欢凝视铁道车站。原因并不清楚,但从记事起直到现在,他自始至终对铁道着迷至深。不论是新干线的巨大的车站,田间小的单轨车站,还是注重实用的货物集中车站,只要是铁道站,对他来说就够了。与车站有关的一切都强烈地吸引着他。
虽然小的时候是同大家一样喜欢上铁道模型,但他真正感兴趣的是,并不是制造精良的车辆和汽车,不是交汇繁复漫无边际的铁轨,也不是精心设计的立体模型,而是作为陪衬放在那里的车站的模型。他喜欢看着电车发车经过车站,或是入站时缓缓的减下速度,正正好好停在站台前的情景。想象着乘客们来来往往,听着站内广播和发车的鸣铃声,眼前浮现出站务员利落的动作。现实与想象在脑中混杂交织在一起,有时甚至会因为太过兴奋而身体发抖。但是,自己这份对铁道的痴迷,没有办法对身边的人合乎情理地说明清楚。而且,假使说明白了,结果也是别人会觉得自己是个奇怪的孩子。作也曾觉得自己身上说不定有些说不清楚的扭曲的地方。
”
《感想》春樹的建築
村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎ながれと、彼の巡礼の年』を読む。今回の主人公は建築屋さん! とは言っても筋肉ムキムキのガテン系という訳ではなく、工科大学を卒業し、鉄道会社に勤め、駅の設計をやっているという人。おそらく春樹は、いつものように翻訳家と同じようなイメージで描いていると思われる。強いて言えば、今回の主人公は理系だという点が強調されていて、その点では翻訳家と区別しているようだ。
さて、あまりくどくどと粗筋を述べながら、作品を語るという気は毛頭ないので、いきなり核心にせまる。今回の小説でも例のごとく、主人公が都会の喧噪を離れ、遠くへ行くシーンがある。行き先はフィンランドだ。なるほど、主人公と同じく東京の工科大学を卒業し、設計事務所に勤めていた僕はピンときた。「そうだ、フィンランドにはあのエリエル・サーリネンが設計したヘルシンキ中央駅がある。駅が好きな彼ならば、絶対に行くに違いない!」。
ヘルシンキ中央駅
そして、僕の予想通り、彼はヘルシンキ中央駅へと出向く。そして、ここで春樹の十八番〈蘊蓄〉が披露される。
エリエル・サーリネンという建築家は、日本ではあまり馴染みがないかもしれない。おそらく日本でサーリネンと言えば、彼の息子でありアメリカで活躍した建築家エーロ・サーリネンを思い浮かべる人が多いことだろう。ニューヨークに行ったことがある人なら誰もが記憶している、ジョン・F・ケネディ国際空港のTWAターミナル。
TWAターミナル・内部空間(2)
ひときわ目立つ耽美なフォルム、そっと撫でながら、その感触を確かめるようにして僕は彼女のなかへ入ってゆく。そんな甘い思いに浸らせてくれる、魅力的な女性のような建築を設計したのが、エリエルの息子エーロだ。そして、このエーロ・サーリネンと日本は意外なところでつながっている。
エーロの才能を疑う者はいなかった。セントルイス・ゲートウェイ・アーチ、MITチャペル、イエール大学ホッケーリンク、彼が設計した建築は訪れる人びとを魅了してやまなかった。彼は紛れもない天才だった。しかし残念なことに、1961年、彼はこの世を去った。51歳、あまりにも早い死であった。
セントルイス・ゲートウェイ・アーチ
MITチャペル
イエール大学ホッケーリンク
イエール大学ホッケーリンク・内部空間
そして、その彼と入れ替わるようにして、世界の檜舞台に躍り出たのが日本人建築家、丹下健三であった。1964年、東京オリンピックの水泳競技場として代々木体育館が、丹下によって設計された。大胆な曲線美をあしらったその姿は、日本のみならず世界中の人々に賞讃された。
代々木体育館
代々木体育館・内部空間
その後の丹下の活躍については言うまでもない。彼は戦後日本、高度成長期という追い風に乗って数々のチャンスをものにした。世界の平和を祈念する広島平和記念公園の計画をはじめ、大阪万博のメイン会場、バブル期の東京新都庁の設計に至るまで、先行する欧米の建築家をも凌ぐめざましい成果をあげた。
東京新都庁
なるほど、いかにも春樹が好みそうなエピソードだ。将来を嘱望されたエーロがこの世を去り、かわって彼のデザインを模倣した丹下が一躍世界のスターとなった。仕事盛りの51歳で亡くなったエーロとは対照的に、丹下は91歳まで長生きした。エーロのなかの何かが消え去り、丹下のなかに何かが芽生えた。「ははあ、羊のしわざというわけか!」
春樹が一旦この手の語りをはじめてしまうとなかなか終らないのだが、やがて話は息子のエーロから父親のエリエルへと戻ってゆく。主人公の彼はヘルシンキ中央駅を前にして、感動のあまり動けなくなる。そして、そこでまた〈蘊蓄〉が語られる。
その語りのなかで、エリエル・サーリネンが設計したヘルシンキ中央駅と比較されたのが、近頃改装され、元来の姿が復元されたと話題になっている東京駅だ。この2つの建築は同じく1914年に完成した。偶然の一致と言えばそれまでだが、なるほど、なるほど、いかにも春樹が好みそうなエピソードだ。
東京駅
東京駅というのは、日本の近代化の象徴のようにもて囃されているけど、あれは辰野金吾という東大の雇われ建築家が西洋スタイルを真似て設計したにすぎない。辰野は優秀さ、それは間違いない。でも彼の優秀さというのは、デザイナーとしての独創性ではなく、西洋スタイルを驚くほどの短期間で習得したという学習能力の高さだ。
エリエルは辰野とは違う。彼は息子のエーロと同じく、真の天才だった。当時のフィンランドは、日本と似たようなもので、ヨーロッパの周縁に位置していて、経済的にも、文化的にも後進国のレッテルを貼られていた。当然、フィンランドの人々にも焦りはあっただろうし、近代化を急ぐ声も強かったはずだ。でも、エリエルは冷静だった。彼は当時の最先端の技術やデザインを取り入れると同時に、フィンランドの風土、伝統的な文化に根ざしたデザインを折衷させた。ヘルシンキ中央駅は、ロンドンやパリのモダン建築とは異なり、ぬくもりがある。フィンランド産の花崗岩がふんだんに使われ、コンコースには柔らかな光が注がれる。
ヘルシンキ中央駅
ヘルシンキ中央駅・コンコース
主人公の彼はヘルシンキ中央駅のベンチに腰掛けながら、
僕たちは急ぎすぎた
と溜め息まじりにもらす。
というのは嘘です。
えーと、どこからが嘘かと言うと、僕が村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎ながれと、彼の巡礼の年』を読んだのは本当で、主人公がフィンランドに行ったのも本当で、ヘルシンキ中央駅に行ったのも本当で、ここまでは本当で、その後が嘘。
春樹の十八番〈蘊蓄〉がヘルシンキ中央駅で披露されたというのが嘘!
ま、この主人公が変なやつで、駅が好きだというわりには全然建築のデザインに興味を示さないんだよね。ヘルシンキ中央駅にせっかく行ったのにファサードとか全然見ないし、写真も撮らない。ベンチに座って発着する列車をただ眺めているだけ。
そしてヘルシンキ中央駅と比べて語られたのは東京駅ではなく新宿駅。一日に延べ三百五十万に近い数の人々が利用する「世界で最も乗降客の多い駅」。
新宿駅(2)
この比較はないんじゃないかと思ったし、音楽に関してはこれでもかと言わんばかりにこだわりを示しているのに、建築に関してはほとんど何も語らない。サーリネンのサの字も丹下健三のたの字も出てきやしない。
まったく困ったもんだぜ、春樹!
でも、ま、面白いなと思ったのは、主人公が駅で何を見ているかと言えば、建物のデザインじゃなくて、列車の発着や乗降客、駅員といった人々の動き、流れなんだよね。一括りにデザインと言っても実はいろいろあって、何も形や色がある物だけがデザインという訳ではなくて、目に見えないものにもデザインはある。確かに駅で言えば、駅舎の外観ではなく、人々の流れにこそデザインがあるのかもしれない。そういう意味では新宿駅は面白い。東京駅に比べると新宿駅のデザインってピンとこない。どこが正面か分からない。有名建築家が関わっていないからという訳ではなくて、西口は巨匠コルビュジエの弟子、坂倉準三の設計だけど、あれも正面がなくて、ほとんど動線計画という感じで、あのデザインの売りも、やっぱり「ながれ」なんだよね。
新宿駅西口
ああ、なるほど、こういうデザインの捉え方もあるよねー
やるじゃん、春樹!
あ、そうそう。もう一つ嘘をついていたのを忘れてた。村上春樹の新刊のタイトルが『色彩を持たない多崎ながれと、彼の巡礼の年』というのは嘘で、本当は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』でした。でも、ここまではっきりと「ながれ」が見えているんだったら、主人公の名前が「つくる」というのは嘘で、「ながれ」が本当だよね。
微信扫描下方的二维码阅读本文
想了解多崎作?先带你看看火车站:等您坐沙发呢!