ダンス・ダンス・ダンス
僕は首を振った。「ただふっと消えちゃったんだ。君が言ったように。手掛かりもない。きちんとした名前さえわからない」
「僕も映画会社の連中にキキのことを少し聞いてみるよ」と彼は言った。「上手くいけば何かわかるかもしれない」
それから彼はちょっと唇を歪め、スプーンの柄でこめかみを掻いた。チャーミング、と女の子たちなら言うだろう。
「ねえ、ところで君はキキに会ってそれでどうするつもりなの?」と彼は訊いた。「よりを戻すとか、そういうことなのかな?それとも懐かしいだけ?」
わからない、と僕は言った。
それは僕にもわからない。会ってどうするかは会ってから考えるしかないのだ。
コーヒーを飲んでしまうと五反田君は彼の曇りひとつない茶色のマセラテイで僕を渋谷のアパートまで送ってくれた。僕はタクシーで帰ると言ったが、彼は近くだからと言って送り届けてくれた。
「そのうちにまた電話して誘っていいかな?」と彼は言った。「君と話ができて楽しかった。僕にはまともに話をできる相手があまりいないんだ。君さえかまわなければ、近いうちにまた会いたいんだけれど。いいかな?」
「もちろん」と僕は言った。そしてステーキと酒と女の子の礼を言った。
彼は何も言わずにただ静かに首を振った。言葉がなくても彼の言わんとすることは十分よく理解できた。
それから何日かはこともなく静かに過ぎた。毎日何本か仕事の関係の電話が入ったが、僕はずっと留守番電話を入れ放しにして応答しなかった。僕の人気はまだ衰えていないようだった。僕は食事を作り、渋谷の街に出て毎日一度『片想い』を見た。春休みだったので映画館は満員とはいかないまでもけっこう混んでいた。観客の殆どは高校生か中学生だった。まともな大人の観客なんて僕一人だった。彼らは主演の女の子や、アイドル歌手の姿を見るために映画館にやってきていたのであって、映画の筋や質がどうかなんてどうでもいいことだった。彼らはお目当てのスターが出てくるとわあわあと声を限りにわめきたてた。野犬収容場みたいな騒ぎだった。お目当てのスターが出てこないときには、みんなぐしゃぐしゃ・ばりばりと音を立てて何かを食べたり、甲高い声で「やったあ」とか「てめえよう」だとか怒鳴りあっていた。映画館ごと焼き払ったらさっぱりするだろうなとふと思ったりもした。
『片想い』が始まると、僕はタイトルのクレジットを注意深く睨んだ。たしかにキキという名前が小さくはいっていた。
キキの出るシーンが終わると、僕は映画館を出てぶらぶらと街を歩いた。いつもだいたい同じコースだった。原宿から神宮球場、青山墓地、表参道、仁丹ビル、渋谷。途中でコーヒーを飲んで休むこともあった。地上には確実に春が来ていた。懐かしい春の匂いがした。地球は辛抱強く律儀に太陽の回りを公転しつづけているのだ。宇宙の神秘。僕は冬が終わって春が来る度にいつも宇宙の神秘について考える。どうしていつもこう同じ春の匂いがするのだろう、と。毎年毎年春になると必ずちゃんとこの匂いがするのだ。とても微妙なかすかな匂いなのだけれドイツもびたりと同じだ。
街には選挙ポスターが溢れていた。どれもこれも醜いポスターだった。選挙演説の車も走りまわっていた。何を言っているのかはよくわからない。ただうるさいだけだ。僕はキキのことを考えながら、そんな街を歩きつづけた。そしてそのうちに僕は、少しずつ自分の足が動きを取り戻し始めていることに気づいた。ステップが軽く、そして確かになり、それにつれて頭の動きにも以前にはない鋭さが感じられるようになった。僕はほんの少しずつではあるけれど一歩一歩前に進んでいるのだ。僕は目的を持ち、それによってごく自然にフットワークを身につけてきたのだ。悪くない徴侯だった。踊るのだ、と僕は思った。あれこれと考えても仕方ない。とにかくきちんとステップを踏み、自分のシステムを維持すること。そしてこの流れが僕を次にどこに運んでいくのか注意深く目を注ぎつづけること。こっちの世界にいつづけること。
三月の末の四日か五日がそんな風にこともなく流れた。表面的には何の進展もなかった。僕は買い物をし、台所でささやかな食事を作り、映画館に通って『片想い』を見て、長い散歩をした。家に戻ると留守番電話をプレイバックしてみたが、入っているのは仕事の用件の話ばかりだった。夜には一人で本を読み、酒を飲んだ。毎日が同じような繰り返しだった。そうこうするうちにエリオットの詩とカウント・ベイシーの演秦で有名な四月がやってきた。中に一人で酒を飲んでいると、山羊のメイとのセックスのことをふと思い出した。雪かき。それは奇妙に独立した記憶だった。何処にも結び付いていない。五反田君にも、キキにも、何にも結びついていない。それはすごくリアルな夢のように感じられた。細部までありあり思い出せるのに、ある意味では現実より鮮明なのに、結局は何にも結びついていないリアな夢。でもそれは僕にはとても好ましい出来事であるように思えた。とても限定された形での心の触れ合い。二人で力をあわせて幻想なりイメージなりを尊重すること。大丈夫よ、私たちみんなお友達なんだから的微笑。キャンプの朝。かっこう。
キキは五反田君とどんな風に寝たんだろうと僕は想像してみた。彼女もやはり、メイと同じように五反田君にすごくセクシーなサービスをしたのだろうか?そういうサービスはあのラブに属する女の子みんなが職業上の基本技術として心得ているノウハウなんだろうか、それともあれはあくまでメイの個人的なものなのだろうか?僕にはわからない。五反田君に聞いてみるわけにもいかない。僕と暮らしている時、キキはセックスに対してはどちらかといえば受動的だった。僕が抱くと彼女はそれに温かく応えてはくれたけれど、決して自分の方から要求したり、積極的に何かをしたりということはなかった。僕に抱かれているとき、キキは体の力を抜いて、とてもリラックスしてそれを楽しんでいるように僕には思えた。そして僕はそういうセックスに対して不満を抱いたことは一度もなかった。リラックスした彼女を抱いているのは素敵なことだったからだ。柔らかな体と、安らかな息づかいと、温かい性器と。僕にはそれで充分だった。だから彼女が誰かにーーたとえば五反田君にーー積極的なプロフェッショナルな性的サービスをするなんてことは、僕にはどうもうまく想像できなかった。でもあるいはそれは単に、僕に想像力が不足しているせいなのだろうか?
娼婦というものは私生活と営業用のセックスをどう使いわけるのだろう?それは僕には見当もつかない問題だった。僕は五反田君にも言ったように、これまで娼婦と寝たことが一度もなかったからだ。キキとは寝た。キキは娼婦だった。でも僕はその時は言うまでもなく娼婦としてのキキと寝たのではなく、個人としてのキキと寝たのだ。それとは逆に、僕は娼婦としてのメイとは寝たが、個人としてのメイとは寝ていない。だからそのふたつのケースをつきあわせてみても、おそらく意味がないだろう。これはつきつめて考えれば考えるほど難しい問題だった。そもそもセックスというのはどこまでが精神的なもので、どこからが技術的なものなのだろう?どこまでが実像でどこからが演技なのだろう?充分な前戯は精神的なものなのだろうか、それとも技術的なものなのだろうか?キキは本当に僕との性交を楽しんでいたのだろうか?彼女はあの映画の中で本当に演技をしていたのだろうか?それとも五反田君の指に背中を探られて本当に陶然としていたのだろうか?
実像とイメージが混乱していた。
たとえば五反田君。彼の医者としての姿はただのイメージに過ぎない。でも彼は本物の医者よりはずっと医者らしく見える。信頼感が持てる。
僕のイメージっていったい何だろう?いや、そんなものが僕にあるのだろうか?
踊るんだよ、と羊男は言った。それも上手く踊るんだよ、みんなが感心するくらい。
みんなが感心するくらい、というからには僕にもやはりイメージというべきものはあるのだろう。そしてあるとすれば、みんなはその僕のイメージに感心するのだろうか?まあそうだろうな、と僕は思った。いったい何処の誰が僕の実像に感心したりするだろう?
眠くなると、僕はグラスを流しで洗い、歯を磨いて眠った。目が覚めると翌日がやってきた。一日一日が早く過ぎる。もう四月だ。四月の始め。トゥルーマン・カポーティの文章のように繊細で、うつろいやすく、傷つきやすく、そして美しい四月のはじめの日々。僕は朝のうちに紀ノ国屋に行って、またよく調教された野菜を買った。それから缶ビールを一ダースとバーゲンのワインを三本買った。コーヒー豆も買った。サンドイッチにするためのスモク・サーモンも買った。みそと豆腐も買った。家に帰って留守番電話のテープをプレイバックしてみると、ユキからのメッセージが入っていた。彼女は面白くもなんともなさそうな声で十二時にもう一度電話してみるから家にいてね、と言った。そしてがちゃんと電話を切った。がちゃんと電話を切るのは彼女にとっては一種のボディー・ランゲージのようなものなのだろう。時計は十一時二十分を指していた。僕は台所で熱くて濃いコーヒーを作り、それを飲みながら床に座ってエド・マクベインの87分署シリーズの新刊を読んだ。もう十年くらい前からそんなもの読むのはやめようと思ってはいるのだが、新刊が出るとつい買ってしまうのだ。惰性と呼んで済ませるには十年というのは余りにも長い歳月だ。十二時五分に電話がかかってきた。ユキだった。
「元気?」と彼女は言った。
「とても元気だよ」と僕は言った。
「今何してるの?」と彼女は言った。
「そろそろ昼飯を作ろうかなと思ってたんだ。ぱりっとした調教済みのレタスとスモーク・サーモンと剃刀の刃のように薄く切って氷水でさらした玉葱とホースラディッシュ・マスタードを使ってサンドイッチを作る。紀ノ国屋のバター・フレンチがスモーク・サーモンのサンドイッチにはよくあうんだ。うまくいくと神戸のデリカテッセン・サンドイッチ・スタンドのスモーク・サーモン・サンドイプチに近い味になる。うまくいかないこともある。しかし目標があり、試行錯誤があって物事は初めて成し遂げられる」
「馬鹿みたい」
「でも美味しい」と僕は言った。「嘘だと思ったら、蜜蜂に訊いてもいい。しろつめ草に訊いてもいい。本当に美味しいんだ」
「何よ、それ?蜜蜂としろつめ草というのは?」
「たとえだよ」と僕は言った。
「やれやれ」とユキは溜め息まじりに言った。「あなた、もう少し大人になれば。もう三十四でしょう?私から見てもちょっと馬鹿みたいよ」
「社会化しろということかな、君の言ってるのは?」
「ドライブに行きたい」と彼女は僕の質問を無視して言った。「今日の夕方はあいてる?」
「あいてると思う」と僕は少し考えてから言った。
「五時に赤坂のアパートに迎えにきてよ。場所は覚えてる?」
「覚えてる」と僕は言った。「ねえ君、あれからずっとそこにいるの、ひとりで?」
「うん。箱根になんて帰ったって何もないもの。なにしろ山のてっぺんにあるがらんとした家なの。そんなところに一人で帰りたくない。ここにいる方が面白いわ」
「お母さんはどうしたの?まだ帰ってこないの?」
「知らないわよ、ママのことは。連絡ひとつないんだもの。まだカトマンズなんじゃないかしら?だから言ったでしょう、あの人のことはもう全然あてにならないんだって。いつ帰ってくるかなんてわからないわよ」
「お金はどうしてるの?」
「お金は大丈夫。キャッシュ・カードが自由に使えるから。ママのやつをお財布から一枚抜いておいたの。あの人そんなの一枚なくなったって、全然気がつきもしないもの。私だって自衛しなきゃ死んじゃうわよ。あの人まともじゃないんだもの、それくらい当然よ。そう思うでしょう?」
僕は回答を答を避けてあいまいな返事をした。「ちゃんと御飯は食べてる?」と僕は聞いてみた。
「食べてるわよ。何だと思ってるのよ?食べなきゃ死んじゃうでしょう?」
「ちゃんとしたものを食べてるかって訊いてるんだょ」
ユキは咳払いした。「ケンタッキー・フライド・チキンやらマクドナルドやらデイリー・クイーンやらそういうの。あとはホカホカ弁当……」
ジャンク・フード。
「五時に迎えにいくよ」と僕は言った。「何かまともなものを食べに行こう。それは食生活としてはあまりにもあまりにもひどすぎる。思春期の女の子はもう少しまともなものを食べるべきだ。そんな生活を長い間続けてたら大きくなって生理不順になる。何になろうともちろん君の勝手だとも言うこともできる。でも君が生理不順になるとまわりのみんなが迷惑する。まわりのことも考えなくちゃいけない」
「馬鹿みたい」と小さな声でユキが言った。
「ねえ、ところでもし嫌じゃなかったら君のその赤坂のマンションの電話番号を教えてくれないかな?」
「どうして?」
「そういう一方的なコミュニケーションというのはフェアじゃない。君は僕の電話番号を知ってる。僕は君の電話番号を知らない。君は気が向いたら僕に電話してくる、僕は気が向いても君に電話できないーー不公平だ。それから今日みたいに会う約束して、いざとなって急に予定が変わったりしたときに連絡がつけられないとなると不便だ」
彼女はちょっと迷ったように鼻を小さく鳴らしたが、結局番号を教えてくれた。僕は手帳の住所録の五反田君の下の欄にそれをメモした。
「だけど簡単に予定を変えたりしないでよね」とユキは言った。「そういういい加減な相手はママ一人でもう充分なんだから」
「大丈夫だよ。僕は簡単に予定を変えたりはしない。嘘じゃないよ。もんしろ蝶に訊いてもうまごやしに訊いてもいい。僕くらいきちんと約束を守る人間はそんなにいない。ただ世の中には突発事故というものがあるんだ。予想もしていないことが急に起こったりする。世界は広くて複雑だから、ある場合には僕の、手に負えないことがもちあがるかもしれない。そういう時に君に連絡が取れないと、とても困る。僕の言ってることはわかるだろう?」
「突発事故」と彼女は言った。
「青天の霹靂」と僕は言った。
「起こらないといいわね」とユキは言った。
「まったく」と僕は言った。
でもそれはちゃんと起こった。